白と黒のあいだ
1





強くなりたいと、ここにいる誰よりもそう願っていることは知っていた。出会ったその日に口に出した想いは今でもずっと、変わる事はなかった

任務に出たいとは顔を合わす度に口うるさく言っていた。ならば叶えてやろうと、市中の見廻りや観察役の潜入捜査に同行させたりしていたが、比較的危険な任務を避けていたのはやはり、俺自身あいつが女だからと何処かで下に見ているところがあったからなのだろう。

そういうのじゃないんだけどと、不平不満の声にはまだ早いまだ早いと言い聞かせて納得させてはいはいとあしらって、いつだって聞こえないふりをして遠ざけていた。






「トシ、ごめんなあ」


昨日の攘夷浪士の討伐任務の際、当初突き止めていたもの以外の余罪多数、それどころか闇ルートでの違法な重火器の売買まで発覚し、予想外の大手柄を掴んだお陰でお上への直々の報告が必要と判断した近藤さんが、夜が明ける頃一人遅れて屯所へ帰ってきた一言目に吐き出した台詞だった。

それは予定時刻を大幅に過ぎてこんな時間に顔を出した事へか、任務の指揮を担っていた俺をひとり置いて行った事への謝罪なのかそれとも、急遽に討伐班の一員として危険な任務を当てがった事へのものなのか。おそらく全てをひっくるめての謝罪なんだろう、外見や普段の言動では想像もつかないくらいこの人は色々な事を見ているし、考えてもいる。


「いや、、俺も面倒かけちまった」
「面倒なんて誰も思っちゃいねーさ、トシは働きすぎなんだ」


たまにはゆっくり休まないとなぁ、どこかの誰かと同じようなねぎらいの台詞に、ふっと頬が緩むのを感じた。


「あいつには会ったのか?」


あいつとは無論、の事だ。 こちらとしては不本意極まりないというのに念願毟り取って叶えて、誇らしげに笑う顔を浮かべて思わず苦い顔になる。


「ああ、傷つくってもへらへらしてやがったよ」
「だろうなあ、いい働きをしてくれたよ。初めてにしては上出来さ」


しろい肌の上を走る真新しい赤を思い出す。満足気になぞった細い指はやはり、女として生きる事を拒否して刀を握る事を望んでいたのだと改めて思い知らされてしまった。


「近藤さん、あいつ、人を斬ったのか?」
「ああ、斬ったよ」
「・・そうか」
「なあトシ」


名前を呼んでひと呼吸おいてまっすぐに見据えてくるものだから、思わずこちらも吐き出すところだった煙を飲み込んでもう一服、慣れたはずの舌に苦い味がしみた。



「あいつは強いよ」
「ああ、知ってるさ」
「お前さんが思ってる以上に、な」
「ーーーー」


遊びじゃねえんだと、くすぶる炎は閉じ込めて蓋をして、いつか消えるのをどこかで望んでいた。自覚する事すら避けてやり過ごしていたつもりが、この人の前じゃそれもかなわない。


「俺だってなあ、本当のこと言うと刀なんて握ってほしかなかったよ、ましてや命の取り合いなんて」


女の子だからなあ、あんなだけど。日々の鍛錬の賜物の、筋肉質な細腕を思い出す。節ぶってはいるがうすい脂肪のえがくなめらかな曲線は、やはり俺達のそれとはちがう。


「けど、あいつの気持ちを抑え付ける事もしたくはないんだよ。強くなりてーっつうんなら力になってやりてえ」


大事になっちまったんだよ。あの日の曇りのない目に射止められて同じ土俵に立つことを許した責任でも感じているのか、心優しき野獣は、顔をくしゃりと歪ませて困ったように笑った。


「お前もそうだろ。心配なのはわかるけどよ」
「・・そんなんじゃねえよ。まっすぐすぎんだ、あいつは」
「ああ、いくら塞ごうとしたって止められやしないさ」
「ここにいるって事がどういう事なのか、わかってねーんだと、思ってた」


直視するにはまぶしくて、目をつぶるのには勿体無い。もっと見ていたい汚れないあいつの、内にくすぶる青い炎を。
あのか細いやわい手が、人を殺める事がどれだけ汚い事なのかどれだけ重い事なのかを、知ってしまう事が恐ろしかった。ただ強くなりたいなんて渇望だけで、ましてやまだ年端も行かぬような小娘が踏み込んで良い領域な訳がなかった。
綺麗事じゃ済まされない、一度堕ちてしまえば這い上がれない事を知っているから、俺のようにはならないでと、こっち側に来れないように汚れないようにと微温湯の中に閉じ込めようとしていた。


「正直あいつが難しいことまで考えてるかどうかは俺にもわからんがな」
「できることなら汚したかなかったよ、俺ァ」
は汚れないよ」
「・・は、」
「曲げねーもんがあるからさ」


ほら、ここに。どんと力強く握った拳で叩く。 どいつもこいつも、根拠のないその自信は一体どこから来るのか。

根拠がないことは放っておいても事実、なるほど、今だなにひとつ変わらない汚れない、曲がることのない心臓がここにいた。
身体中を赤色に染めようとも、黒い感情に沈んでしまいそうになっても、なにものにも染まらず力強く跳ね返すまっさらな。


「お前だって同じだよ、トシ。立ってる場所が違うだけで、今も昔も、なにひとつ変わっちゃいねえ」
「・・どうだかな」


どいつもこいつもどうしてこんなにも自由で真っ白な、冷めそうにない高温に焼かれて、熱はとっくに引いたはずなのに温度差で眩暈がしてしまいそう。


俺は違うんだよ、あんたらとは。
口には出せなかった大部分を黒く埋め尽くす俺の、みにくいカラスの心臓がにくい。抜け出せない抜け出すつもりもない白と黒との狭間を行ったり来たり、きっとこれからも。

自分は違うけど。信じていたい、信じられる。根拠なんてない、それだけは変わらない曲げられない。

きっと大丈夫、あいつなら多分、くすぶる火だって消えやしない。おそらくは俺も。

彷徨い続けるふらついた足元を、堕ちてしまわぬようにと簡単には外れそうもない、見えない鎖で繋ぎとめてくれている。

汚れも痛みも洗い流してくれる、堕ちそうになったらまた、あまいミルクの海で飲み込んで。







白と黒のあいだ


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(140805)