悪人
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風に乗って届いた白い煙におどろいて振り返ると、いつの間にそんなところにいたのか、眼鏡の奥の眠そうな目とかち合った。

「・・・今授業中じゃないの?」
「え〜、サボり。」
「あっそ、サイテー」
「お前こそ授業中になにやってんだんなとこで」
「え、」

自殺?
疑問系に対して疑問系で答えてしまうなんてわたしらしくない。
白か黒か、はっきりさせないと嫌なのは性分だったつもりだけど、生きるか死ぬかの選択の上に、しかも自ら立ってるわけだから、さすがのわたしも少し、決断に迷う。


「面倒くさい、ねえ」
「・・なにか文句でも?」
「いや別に、ただの悪ガキだと思ってたけど意外と考えちゃうのね、お前」
「なにそれ、喧嘩売ってんの?」
「深い意味はねーよ、思った事言っただけだ」


たぶん続けてもあんまり意味のない応酬を続ける気にはならなくて、しばらく黙っていたけど、喋らなくとも吐き出された煙が顔にかかって、不愉快だった。



「ていうかさ、止めないの?」
「なんで?俺が?」
「・・あんた一応教師じゃん」
「別に本気で死にてーっつんなら無理に止めはしねーよ。止めたところで今後の人生良くなる保証できねーし」
「先生のくせして無責任って、ひどいね」
「じゃーらしいこと言っとくわ、あんまり考えすぎんな?」
「そっちこそもうちょっと考えるべきな気がするけどね」
「確かにそうかもなァ」


くく、嫌味なんていくら投げてもいつだって肩透かしの白髪が、いやらしい顔して笑うのが癇に障る。
生徒が屋上の手すり向こう側で地上見下ろしてるところ見つけたら普通、必死に止めたりすんもんなんじゃないの。仮にも教師という職に就いている人間とは思えない返答に、ますます冷えが加速する。
曖昧なわたしのほうも多分悪いけど、この人はそんな素振り一切見せてもくれないから、わたし以上に質が悪い。


「で、死にたいの?死にたくないの?どっちなの?」
「・・わかんない」


これだからお年頃は、もー先生やんなっちゃう。手すりに肘付いてこんなときにもやる気ない、本当に思ってるのか疑う棒読みで、ぷくぷくと煙たい白煙を生産し続けた。


「そのうち嫌でも考えなきゃいけねーんだから、ガキはガキらしくバカやってりゃいーのよ」
「バカやってんのも疲れるんだよバカ教師」


なんでもできると思ってた、子供の頃は。想像できる未来はどれもきらびやかなもので溢れていたしこの輝きは永劫、途切れないものだと思ってた。けど、いざ階段登って扉開けてみたら全部幻だったことに気づいた。
ルール無用なんて守られてる子供のうちだけ。早くても成人、遅くても就職するくらいにはこの国の社会という郷に従わなければ生きてはいけない。



「つまりちゃんは随分早熟なんでちゅねー」
「だから、そういうの面倒くさいよ、生きてんのめんどい」
「俺のほうが面倒くせーよ、おめーみたいなやつがいるから」
「・・あんたも死んでるみたいだけど」
「はは、違いねーな」
「・・ねえ、なんで先生なんかになったの?」
「あー、なんかおもしれーことあるんじゃねーかって思ってな」
「それで、あったの?面白い事」
「どーだかな、教えたってお前死んじゃうんでしょ?」
「・・あんたホントだめ教師だね」
「だーかーらー、頼られたって困るの。教師なんてちょっと長く生きてるだけでおめーらと同じただの人間だよ」


理由なんて関係なしに問いかければ答えてくれて、転びそうになったら手を差し伸べてくれるのが教師だと思ってたけどとんでもない、肩書きだけは真っ当な、一枚めくればこんな風にはなりたくない、だめな大人のお手本みたいなやつだ、この男は。


「結局大人は何もしてくれないんだ」
「他力本願だねェ・・教師とか生徒とか抜きにしてもいいんなら、一つだけ教えてやんよ、いいこと」


知りたい?煙草咥えたまま口端から煙を吐き出して頭も中身も灰色の先生は、どうせろくなこと教えてはくれないんだろう、半開きの目でこっちを見ながら問いかけた。

そういえば今までも話をする時あまり目が合うことがなかったような。気づいたら、興味がある訳じゃないし期待もしていないけど、なんとなく聞いておいたほうがいいような気がして向き直った。


「いいことって、なに?」
「あー、、俺にはお前の心臓を止めることも、動かすこともできねえ」
「まあ、そうだろうね」
「けど熱くすることはできる、多分」
「は?」


なにそれ、浮かんで声にする前に思いっきり腕引き寄せられて気づいたら手すりの向こう。
大人の男の力で壊れそうなくらい強く抱きしめられて、壊れものを扱うような優しさで先生は、空いてるほうの手で女のわたしの髪を撫でた。
地面に捨てられた煙と、上に乗った状態で逆光になってる先生の、見えないけど着っぱなしだからたぶんもうまっさらじゃない白衣が鼻先に触れて、染み付いた煙草の匂いで肺がいっぱいになる。


「こういうこと」
「ーーーー」
「あとはお前次第だよ」


授業終わるくらいまでなら待っててやっから、準備室おいで。
難解な問題と言葉を耳元で残してさっさと出て行ってしまっただめな大人の先生は、普段の無気力な双眸はどこへ、あんまり見せない形にゆがんで笑ってた。






知ってても容認されてきたから多分わざと、置いてったくしゃくしゃの箱に、一本だけ残された煙草に火を付ける。 メンソールじゃないやつ苦手なんだけど。煙を吐き出す度にそっくりな頭が勝手に浮かんできてむかついた。


「ーー何が動かすことも止めることもできない、だよ」


全部あっさり、やってのけやがった嘘つきやろう。


掴まれて撫でられた、大きい手のひらの感覚がまだ残ってて、思い出す度に心臓が鷲掴みにされて停止して無理やり、動き出す音がきこえてたぶん熱もってる。

すり替えられた選択肢によろしくない好奇心がぐらぐら、こっちへおいでよと手招きして、同じくらいにそこに行ってはいけないよと、自分の中にもまだあったんだ、理性ってやつが信号だして絡まり合って、さっきからわたしの中を行ったり来たり。

灰色どころかどす黒い、汚い大人の手にかかって、わたしはこれ以上汚されてしまうのだろうか。

どっちにしてもさっきので一回死んでると思えばもうどうだっていい。
放課後のチャイムまであと2時間半、わたし一体、どうすればいい?


ねえ、先生、教えて、もっと。






悪人


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(140715)