この季節でも夜になれば涼しかった。縁側に腰掛けて横目に写った着物姿に、たまにはいいな、思っただけのつもりがつい吐き出してしまった言葉を、聞き取ったのかどうなのか、こちらを見下ろして詰られるかと思いきや見慣れた箱を投げられただけだったのは意外だった。 「はい、お土産」 「・・どーも」 先ほどから紫煙を生み出す道具に火を灯しては残りあと何本、数えていたところで思ってもいなかった延命に、素直に有難いと思った。 「お前は禁煙しろって言わねーのな」 「別に吸いたきゃ吸えばいいんじゃない?早死にしてもいいなら」 「・・・」 まだ十分長さはあったがなんとなく続ける気にならなくて、勿体無いかなと思いつつ一口吸い込んで灰皿に押し当てた。 基本的に不平も不満も躊躇わず物怖じもせず口に出すし、納得のいかないことには駄々も捏ねるけど、大抵のことは受け入れる奴だった。おそらくは大半がこいつにとってはどうでもいい事なんだろう。 何を考えているのか分からないなんて、今ではもう思わない。最初から一つの事しか頭にない、除いてしまえばあとはなんでもいいしどうでもいい、どうぞお好きになスタンスの、ただの楽観的な鳥頭だ。 「別に副長の座なんて狙ってませんよ」 おそらく見ていたのだろう、隣に腰を下ろしながらわざと口調を変えてけらけらと笑う、刀を握る時とは全く別人の目の前の女に、一体どちらが本体なのかと何度問い掛けたくなった事か。 根底にあるものは変わらないままだから答えは簡単、どちらも同じ人間だった。 強くなってどうしたい、この場所に立つことを望んだあの日に頭上から問い掛けた俺の方を、姿勢を正して向き直ると一呼吸置いて言った。 「生きていたい」 真っ直ぐに見上げた、内側に光をはらんだ黒い眼に思わず息を飲んだが、それはどういう事なのか、考えてもよくわからなかった。 生きたいならば安心安全な道を歩もうとするのが常人の思考の筈で、死と隣り合わせの茨の道のこの場所に、あえて身を置くなんて選択肢を持っている事自体異常な。 どれだけ腕が立とうが性分が男勝りであろうが女は女で、そんな細い腕でこんな場所で、一体何ができるのかと、近藤さんに承諾を貰った後もしばらくは一人同意しかねていた。 他で苦言をこぼしたのを何処で聞き付けたのか、俺のところへわざわざ女扱いするなと、腹に拳を当てに来たのには驚いた。それ以来軽口にもそういったニュアンスの言葉を出す度に食い下がっていた。 そのくせ自分はといえばトシ、トシと呼び捨てて軽口を叩く。敬語を使わなくなったのは、呼び捨てるようになったのはいつからだったろう、敬愛するボスの真似なのか、奔放な部下に感化されていらん知恵でも付けたのかは知らないが、自然な流れだった。 世の中の不自然がこいつにとっては全てが自然で、無意識に咀嚼して呑み込んでおまけに他人に不自然を植え付けている事にも気付いていない。 『やりたいように、生きたいように生きればいい、誰の物でもない、てめーの人生だ。』 誰の教えなんだか、経緯は忘れたが酒の席で呟いた台詞に、らしいなと思いつつ返事は返さなかった。 信念なんてあるのかないのか、最早ない事が信念のような。あえて繋がれておいて内のほうじゃ檻も鎖も無い、猫のようだと思った。いくら外側から留めておこうとしたところで逃げ出す機会を伺っている。自由を掴み取って踏み越えていく、厄介な野良猫だ。 見方が変わったのはその頃か、今更になって思い出しては生き様にあてられて、感化されてるどころか呑み込まれてるこちらの身にもなって欲しい。 「あーほんと動き辛くて嫌だ」 「普段からそうやって着付けときゃ少しは大人しくなるんじゃねえの」 「こんなの一人じゃ着れないもん」 「・・誰にやってもらったんだそれ」 「山崎くん」 「ああそう・・器用だな」 よく変装するしね、あいつ。下世話にも下心を疑ってしまって、払い落とすように理由を見つけて納得させた。 過去にも何度か同じような事を言った事はあったが、よく動き回るせいか暑い暑いと言って聞いたためしなんてなかった。見慣れた半巾帯の着流しの合わせが開いている度に頭を抱えたくなるのも茶飯事で、咎めると口を尖らせる様子を見れば、悟られまいと必死なこちらの気持ちなど知る由もないんだろう。 ただでさえ慣れようと思ったってそう安易なものじゃないのに、ましてや自覚してしまったこちらからしたら厄介な賜物でしかない。 「ねえ、いつになったら認めてくれるの?」 「・・何の話だ」 「さあ、わかってるんじゃないの本当は」 手の平に顎を乗せてこちらを睨むと目を細めて笑った。 前に進みたいのにその術を許そうとしなかった、やすやすと越えさせてくれそうにない壁の、自由でいたいのにどこうとしない俺の存在はもしかしたら本心では邪魔に思ってでもいたんだろうか。後悔している訳ではないが、今頃になって女々しく危惧しているなんて我ながら情けない。 しかしくすぶっているのはこちらも同じだった。 「お前こそさっさと認めちまえばいいんだよ」 「はあ、なにそれ?」 「さーな、わかってねェんだろ、おめーは」 言い回しは同じでもあえてわからない振りをしているのと、何一つわかろうともしていないのとじゃ全く意味が違う、片方はその事にすら気付いていないから悲しい話だと思う。興味も好奇心も湧かせる癖して深追いはしないから、この話はここで終わってしまった。お前はもう少し頭を使うべきだろうと内心思ったら笑えてきた。 静かに流れた夜風が心地良いのだろう、目を伏せる整った横顔に見惚れた。 長い睫毛も細い指もすれ違い様に香る髪も、ここにいる誰とも違う、どれだけ粗野な口振りも振る舞いも、したところで変えられない事実を、とっくに認めてしまっている時点でこちらの負けだ。 上手く泳げてるつもりはないけどまだ溺れてはいない。いっそ溺れてしまえば幸せなのかとも思うが、掴まえられる気も踏み越えられる気も今のところしないから今日もまた、わかってあげない振りをする。 だって女の子だもん  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (140820) |